よくよく聞くこの言葉。
『一蓮托生(いちれんたくしょう)』「事の良し悪しに関わらず
行動や運命を共にすること」
ということですが…
意外に裏切りが多いのもこれですね。
成果は一蓮托生。
失敗はお前の所為。
こういう行動は普通に見ますね。
ミニドラマで扱った内容ですが…
ここの例示ドラマくん
ぬらりんひょんの『某医療生協理事α』
彼曰く、
私のこれまでの経歴ですが…
学生生協で事務局を歴任し
学生の要望に応じて
旅行会社・不動産会社の機能を
持たすことができました。
その手腕変われ、他の学生生協に
「是非とも来てください」と
頼まれていかせていただいていました。
と…
これだけを聞くと
何もない処から立ち上げる能力があり
それによって成果を上げてきた。
様に聞こえますが…実質どうでしょうか?
疑問を持つかは読み手側のことです。
発言なので聞き手側…のことですね。
小生は、別に屈折しているわけではなく
まず都市圏にいた人が
手腕を買われて地方に単身飛ぶのは…
それも最後の花道的に用意されての状況
本当に「是非」とついていたのか
そして
素直にどのような手順でそれを成したのか
質問すると何も答えられない現実。
組織が挙げた成果なので
一蓮托生でよいのでしょう。
でもその使い方は…
小生的には誤っていると思います。
このαの発言で言うのなら
火事場泥棒的な感じかもしれません。
何せ失敗の責任を取った話は出ずに
αの持論はこうです。
「失敗があったのなら
なぜ失敗したのか
原因は何処にあるのか
いつ達成されるのか
何処に責任があり
誰が責任を取るのか
とことんまで追求し
追い詰めるのが
管理する側の義務」
というモノです。
悪い時には蓮の葉には
載っていないですよね(苦笑)
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