スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(なんちゃって四字熟語)が付いた投稿を表示しています

空即是色

  順当に… 本日はこちらの言葉で。 前回の『 色即是空 』と一緒に 聞かれる方も多いかと思います。 『空即是色(くうそくぜしき)』 「物の本性は空(くう)だが  それがそのままこの世の  一切のものである」 ということで、こちらも悟りのひとつ。 小生が悟れるまで もう少しかかりそうですが 形や誰かの行動に 振り回されるのではなく その見えたり感じたりするものが その総てであるような感じでしょうか。 例えば (ここでは擬人αで紹介していますが) αは自分の言うことを聞かせるときに 声を荒げて大きな声で言います。 これは小動物がキャンキャン吠えるのと 同じ行為で滑稽にしかみえません。 でも子供からすればどうでしょうか… このただ訳もわからず 怒鳴る人は 怖いから言うことを聞いておこう になるかもしれません。 これは 大人が見えている姿「滑稽」 子供が見えている姿「狂人」 という捉え方の違いですが それが全てとなっているということ。 大人は相手をせずに 子供は触らないように付かず離れず となるのかもしれません。 何もないはずなのに そう見える。 見えているだけ… ということなのかな? 何もない空虚な存在…そういう風に この四字熟語だけ使うと なるのかもしれませんね。 …もちろん、間違えていますよ。

色即是空

しばらくさぼっていました。 と閲覧が伸びないのは 定期更新ができていない… これが最大の原因ですね。 何よりも…長いから… 短くまとめることに挑戦! 『色即是空(しきそくぜくう)』 般若心境に出てくる四字熟語… 漢字しかでてきませんが… 「この世の万物は形を持つが  その形は仮のもので  本質は空(くう)であり  不変のものではないという」 悟りの一つですね。 小生、縁あって 般若心経を読むことに 一応意味合いを考えつつ 読み解くことに挑戦中 ◎霊っていうのが増えていますが そこにある意味を 知っているのと 理解しているのでは 使ったことに効力?が違うような気が もちろん小生の主観です。 そういうわけで このblogの四字熟語 私的な解釈込みで紹介しています。 最後まで読んでくださった方に 感謝をこめて ありがとうございます。

神恩感謝【ふたたび】

手抜きではありません。 ただ… いつもやっている意味書きを 失念していたことに気が付いたので… 小生的なんちゃって分類なので 意味が無くても題はないかもしれませんが… 『神恩感謝(しんおんかんしゃ)』 出雲大社分院によると 神様に生かされて 生きている今日のこの命 天と地の恩は これ以上ないほどの恩である という言葉にあるように 日々生かされていることに感謝し その気持ちをお祈りする ということです。 小生は これを朔日詣と15日詣で行っているという ということですね。 できるだけ氏神様で行うようにしています。 自身に縁のある寺社でするのが良いそうです。 氏神神社以外では 産神神社や土地神神社があるそうです。 縁が結ばれる悠久の時を 覗きに行くのもいいモノだと思います。

神恩感謝

 毎月1日と15日に 氏神詣でをします。 普段色々とお願いをするので この両日は できるだけ気持ちを無にして 本宮の前で 静かに過ごします。 念仏ではありませんが 心の中で? 頭の中で? 「神恩感謝…ありがとう」と… 詣での作法は 色々とありますが… 小生はしっくりといったのが 鳥居の前でご挨拶 (神社は色々とあるので道中割愛) 宮の前で一礼 拝殿へと上がり (お賽銭箱の前くらいかな) 2礼2拍1礼と… この時に『住所、氏名、年齢』を伝える。 お願い事はこの後に…とか 伝えるものは頭の中で浮かべるだけです。 でお賽銭は金銀銅の硬貨 小生的には長く続けられるように16円です。 もちろん115円でも大丈夫です。 最近気が付いたのが…65円です。 15円はどうしても欠かすことのできない金銅… 五重に縁をという願をかけて50円… 色々と考えられるものですが 数字にもいろいろと意味合いがあるそうです。 何かの機会に 数字の力も書いてみたいですね。 コラム調になっているかな(笑)

自信満々

今日の四字熟語はこちら これは「なんちゃって」側かな… そもそも 四字熟語の定義は何でしょう。 それを学ぶ必要ありますね。 それはさておき 『自信満々(じしんまんまん)』 自分の能力が優れている。 自分の下した判断が正しい。 ということですね。 これに関しては 説明らしきものがいるとは思えませんが このblogで紹介するのは ショートドラマ(オチ無いことが多いです) での説明ですので…このシーン多くあります。 Maineキャラのα 彼の経歴は輝かしいモノです。 という話ですが…今回は行間を読み解く 的な感じで… α曰く 学生生協の経営を立て直しをした。 学生生協に旅行会社の機能を持たせた。 学生生協に不動産業を導入した。 手腕が買われて、 都市部から地方の学生生協の事務局長に 懇願されて経営改善をおこなった。 というモノです。 これは実績のように見えますが… ただαが言っているだけ 誰も裏付けしていません。 まぁ経歴は間違いがないのでしょう。 都市圏の学生生協で働いていて 地方の学生生協の事務局長になった。 定年を迎えて地元に戻った… これドラマぽいですよね。 the・ドラマ設定ですから。 単純に都市圏から地方に移動する 栄転なわけないですよね。 体の良い厄介払いですね。 定年間近かであれば… 栄転ならその学生生協の理事長 という役職…もしくは常勤理事 というのが妥当なところです。 ドラマ性を持たせるには…ダメですけど。 実質、定年間際に地方の別の団体に 出向させられること自体… その組織で不要とされていたことなのです。 この辺は行間を読んでいただくとして… 学生生協の中で 旅行代理店 不動産会社 できますね。 いまは何処の学生生協でも 普通にありそうです。 それ以前い個人旅行とか しっかりと別に使っていますよね。 きっとコロナ関連の旅行支援で 必要になり繁忙になったとは思いますが… これ事務局員で処理できる 案件ではないですね。 案件ではない以上、成果で上げるのは その人の高(たか)が知れるということです。 四字熟語の説明には 成功よりも間違えた行動の方が しっくりとくるので こういうキャラになっています。 万が一にも こういうことを実践する人がいたのなら… それは本当にクズな存在です。 小生的にはですが… できれば そんな組織でも構いませんが 主任以上の後輩を持

自然消滅

  …この言葉に 少し思いを馳せたり… 2023年は 小生にとって 人心整理の時というらしいです。 多くの人に出会い 多くの人に助けられ 多くの学びがあったこれまでの50年。 コロナというアクションがあって 少し小生の人生プランにも変化が といっても動き出しが コロナの分だけ後ろに下がった…だけ。 まぁ様々なことがあり、 全てが今になっているのは 偶然なのか 必然なのか というところですが… 『 邂逅相遇 』を書いているうちに そして調べているうちに 今日の四字熟語(なんちゃって版)に… これまでの付き合が 勝手に整理される年 不思議なもので 繋いでくれた方は数えるほど その前から 繋がり続けている人も含めると この繋がりが5以上あると 人生は幸せだったそうです… 区切りの50年 小生にとっては『幸せだった』 という過去になるわけですが… 本当にありがたく感謝です。 で…唐突にお中元を送り付けてみると まぁ多くは語らずに ここで零す程度に… 何故?と聞かれたから、ですが 小生にとって 途切れた時間…自然消滅の時 それを繋いでくださるのは 常に相手の方です。 その優しさに本当に感謝しか出ません。 ということで、相手の方が知らずに 小生にしてくれている行為を 『巡り愛紡ぎ会い』と名付けたりして。 小生もいつかはその感謝を 誰かに… って自然消滅から離れていっています(苦笑) 『自然消滅(しぜんしょうめつ)』 恋人だった二人の距離が 少しずつ離れ、恋愛関係が終わったこと だそうです。まぁ恋愛用語? 結構色々なことに使われてそうですが… 意外な学びがありました。 ちなみに小生は 知り合った人と疎遠になる時間を そのように使って良いと思っていましたが 何せ復活も結構あるので ちょっと恥ずかしい使い方でした… 喧嘩もせずに 関係性が終わること 自然消滅…発生のことを考えるとw もう少し深めてみようかな

邂逅一番

  これ間違いです… ここ数日『邂逅相遇』について 触れている最中に出ていたので ちょっと拾い上げてみました。 邂逅一番のかいこうは開口です。 書き込んでいる最中に IMEが誤変換の通知コールを くれました… 咄嗟にPCに謝る小生は…一体 誤字脱字にかけは普通なのに ただいま修正中です… そのうち誤変換・誤字・脱字は直ります。 これまで必要な文章は 誰かがチェックをしてくれる。 というのを頼っていたので… 常にだれかの優しさに 助けてもらってきた というだけのことになります。 これまでの時間 皆様に助けられていたことに感謝を。 自分だけで仕事をするうえでは 速さもですが 正確さも必要になってきます。 見返すをしっかりとしないですね。 で邂逅一番… 決して偶然の出会いが 一番という意味ではありません。 『開口一番(かいこういちばん)』 何かを話し始めるときの最初の言葉。 ちなみに 『邂逅遭遇』も『邂逅相遇』も 合っているそうです。 意味も同じです。 日本語表記か中国由来の旧態か それだけの違いだそうです。 幾つかのネット辞書によると、ですが

龍虎別離

 この言葉… 調べてみたら熟語として 存在していなかったですね(苦笑) 遡ると『クライングフリーマン』という 作品の中で使われている夫婦の在り方 互いが互いに支えられるのではなく 別々の道を歩もうとも 同じ方向を向いて進んでいく 誰かに守られるのではなく その道で立てる強さをもつ そんな印象が残っています 読み返したらまた違うかもw 時間の経過とは怖いものですね でも夫婦の在り方は そういう在り方でよいと思うのです 知人の中に 夫婦ともに理髪系の職に 就いている人がいます 見ているとほっこりできる夫婦です 互いが引くところを見極め 支える処を見極めています この夫婦は違う道を進んでいます 技能をもって^^ そういう意味で 龍虎別離という 夫婦像なのかもしれません ※龍虎別離は 別に夫婦を指す言葉ではありません 小生の記憶が 勝手に美装化しただけです^^ 格闘家夫婦なんてこんな感じでしょうねw